杉田祐一は、どんな選手?全豪オープンで対世界ランクトップ10に勝利!「純国産」「遅咲き」って?【動画有】
杉田 祐一(すぎた ゆういち)
2017年7月、トルコのアンタルヤオープン(トルコ、6~7月)でATPツアー初優勝を飾った杉田祐一選手。
プロ10年目となったこの年、松岡修造、錦織圭に次ぐ日本男子史上3人目となるツアータイトル獲得し、日本人歴代2位の36位となり、四大大会でシードが取れる32位以内を射程圏内とするまでにランクアップ。
錦織圭選手不在の国別対抗戦、ブラジルとのデビスカップでもシングルスで2勝し、頼もしい存在として、2017年目覚ましい活躍でテニス界で注目を集めています。
「遅咲き」「珍しい国産育ち」「ストイック」などといった言葉が杉田選手を形容するのに並び立つのを見ると、大活躍するようになったワケやどういった選手なのか知りたくなります。
これまでの経歴や戦績、プレースタイルなどを紹介していきます。
この記事の目次
プロフィール
名前 | 杉田 祐一(すぎた ゆういち) |
ATPランキング
(2019.1.14現在)
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シングルス145位 |
国籍 | 日本/三菱電機所属 |
出身地 | 宮城県仙台市 |
生年月日 | 1988年9月18日 |
年齢 | 36歳 |
プロ転向年 | 2006年 |
利き腕 | 右 |
バックハンド | 両手 |
身長 | 175 ㎝ |
体重 | 70㎏ |
使用ラケット | Babolat Pure Drive |
使用ガット | Babolat プロハリケーンツアーXVS |
使用シューズ | Babolat |
使用ウエア | Babolat |
公式サイト(Facebookはログインしていないと見れません)
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ラケット、ウェア、シューズ、バッグまでALL「バボラ」
プレースタイル
身長175cmと錦織圭選手よりも小柄で、パワーはないがフットワークがよく、運動量が豊富。粘り強く、終盤になっても衰えない動きができる。
切れのいいストローク~ライジングでフラットに捉えて打つ速いテンポでのボールさばきをする。
バックハンドは、懐が深く展開力がある。
本人も2017年のインタビューで「コートを走り回るのが好きです。敏捷な身のこなしが僕の武器です。サーブが強くない分、リターンが重要で素早い反応力が必要になります。さらに反応をよくすることが最大の課題と思います」(ATPテニスマガジンより)と語っています。
怪我や故障の少ない杉田選手、ハードコートで快足を生かすだけでなく、芝生コートを得意とし、芝生でもバランスを崩すことなく動ける体幹の強さ、バランスの良さを生かしたプレーで、芝生コートでの2017年7月ATPツアー初優勝(アンタルヤ・オープン)を成しとげました。
さらには、自身でも「ジャンピングスマッシュ」が一番得意のショットと言っていることがありますが、ダンクシュートのようなスマッシュを得意としています。
そんな杉田選手の高くジャンプし、叩きつけるようなスマッシュを集めている動画がありましたので紹介します。
杉田祐一 ダンク&ジャンピングスマッシュ集
2017年は、これまでのプレーにプラスして、多彩なプレーを織り交ぜて、相手のリズムを崩すプレーやネットに詰めたプレーをするようになってきました。
錦織圭選手、西岡良仁選手との関係
日本のテニス界のみならず、テニスをプレーしない人にも話題となる位までに活躍している錦織圭選手は、杉田祐一選手よりも一つ年齢は下です。
杉田選手は、日本のエースとして活躍している錦織選手から大きな刺激を受けて、励みとなって成長しています。
【杉田選手⇒錦織選手】
2017年の杉田選手の錦織選手について語った言葉(ATPテニスマガジンより)
「昨年、今年と一緒に練習させてもらってすごく勉強になりました。日本に革命を起こしたすごい選手です。彼の成績に刺激を受けて僕も勝利を目指しています。もっとランクを上げたいです。」
【錦織選手⇒杉田選手】
・2017年6月~7月「アンタルヤ・オープン」(ウェインブルドンの前哨戦とされる大会)の優勝前の杉田選手を評して「いいところは、ストロークでの弱点がなく、ほかの選手と打ち合えるくらいの力はある」
・2017年7月のウィンブルドン開幕前の会見では、当時世界ランク66位の杉田祐一について「サーブだったり、前に入ったりというプレーができれば、(世界ランキングで)30位とか20位に来ると思う」
2016年ウクライナとのデビスカップ戦ダブルス 錦織選手とのペア
セルビアのジョコビッチ選手が活躍することで、同国出身のティプサレビッチ選手やトロイツキ選手が奮起してシングルスランキングをそれぞれ8位、12位まで自己最高位に上げたような効果を錦織選手と杉田選手に見ることができます。
杉田選手の活躍は、他の日本選手への発奮材料ともなることでしょう。
【杉田選手⇒西岡選手】
西岡良仁(にしおかよしひと)選手は、2017年ツアー途中で左膝前十字靭帯断の怪我によって、長期ツアーを離脱していたのですが、Twitterで以下のように発言しています。
【西岡選手⇒杉田選手】
杉田選手の7つ年下の西岡良仁選手は、錦織圭選手と同じアメリカIMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーに留学し、2014年プロへ転向。
2014年仁川アジア大会で19歳で日本人として40年ぶりの優勝、2015年グランドスラム本戦初勝利を上げるなど、若くして活躍しています。
西岡良仁選手
西岡選手と杉田選手はトレーナーが同じで交流も多いことから刺激を受けて、それまでの多くの下部大会に出てポイントを得ようとするのではなく、西岡選手のように出場する大会を絞るようにしたそうです。
それによって、休息とトレーニングの時間を確保して試合に臨むというのを西岡選手から学んだことが今の杉田選手の活躍につながっています。
性格
杉田選手のブログやFacebookなどを読むといつも真面目で、きめ細かい気遣いの謙虚な語り口です。
コーチの言うこともあまり聞かなかったと自身で語っているので、マイペース、頑固な性格と言えるでしょう。
黒髪の七三分けのヘアスタイルが真面目な好青年というイメージとマッチしています。
ところが… 2016年の一時期、前髪だけ金髪にしていたのです!
前髪だけ金髪メッシュ
本人曰く「あ~伝説の…アメリカの子どもたちはああいうのが好きそうだし、インパクトを残すのにいいかなと思って。」と語っています。
意外にお茶目なところもあるのかも?
杉田選手の性格についても、錦織選手のコメントから
「彼(杉田)は独特の世界がある。本当にストイックで、時には仙人みたいな、修行に出るみたいな発言だったり行動がある。学ぶところは沢山あります」
錦織選手が、全仏オープンの試合中にラケット破壊をしたことから、世間からバッシングを受けていたときに、オフィシャルブログで杉田選手が錦織選手をかばうような発言をしています。
この発言に、杉田選手の人柄がにじみ出ていると思います。
普段何をされても怒らないあれほど温厚な彼が、あそこまで無理やりテンションを上げて状態を維持しようとしているということの意味は私は理解していますし、どうにかして踏ん張りたいという強い思いは、私に大きな価値をもたらしてくれます。 出典:2017年6月7日 杉田祐一選手公式ブログ |
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主な戦績
2006年9月
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大阪F9※ フューチャーズ初優勝
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(※F9とは同一国で同年に開催されるフューチャーズの9番目の大会)
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2007年2月
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デビスカップ中国で行われた中国戦出場
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当時、日本人最年少(18歳)でのデビスカップ勝利を上げる
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2008年
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フューチャーズ大会4連続優勝!!!!
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(昭和F6、有明F7、インドネシアF1、インドネシアF2)
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2009年10月
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「全日本テニス選手権」準優勝
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対戦相手 添田豪選手
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2010年3月
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「島津全日本室内テニス選手権大会(京都)」
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ATPチャレンジャーツアーシングルス初優勝
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2010年10月
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「全日本テニス選手権」優勝
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対戦相手 鈴木貴男選手
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2011年1月
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「チェンナイ・オープン(インド)ATP250」に出場
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ATPツアーでのシングルス初勝利
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2011年9月
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デビスカップ ワールドグループ・(インド)戦にシングルス1、ダブルスに出場
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初日のシングルスにて相手のエースに対しストレート勝利。伊藤竜馬選手とペアのダブルスは敗戦
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2012年1月
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「チェンナイ・オープン(インド)ATP250」に出場
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ATPワールドツアーベスト8進出
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2012年2月
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デビスカップ ワールドグループ(クロアチア)戦にダブルスで出場
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伊藤竜馬選手とペアのダブルスは敗戦。
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2012年9月
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デビスカップ ワールドグループ(イスラエル)戦にダブルスで出場
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伊藤竜馬選手とペアのダブルスは敗戦。
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2012年10月
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「全日本テニス選手権」優勝
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対戦相手 伊藤竜馬選手
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2013年2月
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デビスカップアジア・オセアニア・グループ(インドネシア)戦にシングルス4で出場し勝利
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2013年9月
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「上海チャレンジャー(中国)」優勝
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2014年6月
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「ウィンブルドン選手権」出場
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初めて予選を突破しグランドスラム本戦初出場を果たすも1回戦敗退
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2014年10月
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「プネーチャレンジャー(インド)」優勝
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2015年6月
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「ウィンブルドン選手権」出場
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予選を突破しグランドスラム本戦出場するが1回戦敗退
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2015年9月
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「バンコクチャレンジャー(タイ)」優勝
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2015年11月
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「ホアヒンチャレンジャー(タイ)」優勝
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2016年1月
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「全豪オープン」出場
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予選を突破し、初出場するが1回戦敗退
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2016年2月
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「京都チャレンジャー」優勝
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2月29日付世界ランキング99位と初めて100位以内となる
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2016年6月
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「ゲリー・ウェバー・オープン(ドイツ) ATP500」に出場
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ATP500シリーズ初勝利、2回戦敗退
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2016年7月
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「ロジャーズ・カップ(カナダ) ATP1000」に出場
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ATP1000シリーズ本戦初出場、初戦敗退
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2016年8月
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「リオデジャネイロ オリンピック(ブラジル)」出場
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オリンピック初出場、シングルス2回戦敗退
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2016年8月
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「ウエスタン・アンド・サザン・オープン(米国)ATP1000」出場
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ミロシュ ラオニッチに敗れ、3回戦敗退。大会後の世界ランキングで自己最高の83位になった
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2016年9月
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デビスカップ ワールドグループプレーオフ(ウクライナ)戦にダブルスで出場
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錦織圭選手とペアのダブルスは勝利。ワールドグループ残留に貢献
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2017年3月
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「慶應チャレンジャー」優勝
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2017年3月
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「深圳チャレンジャー(中国)」優勝
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2017年4月
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「バルセロナ・オープン(スペイン)ATP500」出場
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予選決勝で敗退するも、第2シードで出場予定だった錦織が欠場により、空いた枠にラッキールーザーで本戦に出場
ATP500で初のベスト8⇒世界ランキング自己最高位73位へ
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2017年5月
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「全仏オープン」出場
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日没順延となり、2日がかりフルセットとなり、善戦するも初戦敗退
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2017年6月
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「サービトンチャレンジャー(英国)」優勝
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⇒世界ランキング自己最高位64位へ
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2017年6月~7月
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「アンタルヤ・オープンATP250(トルコ)」アドリアン マナリノ選手を決勝で破り(仏)ATPツアー初優勝
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2017年から新設されたウィンブルドン選手権の前哨戦とされる芝の大会。同大会の初の優勝者となる⇒世界ランキング44位となり、これまでの松岡修造さんの46位を抜き日本人歴代2位となる
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2017年7月
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「ウィンブルドン選手権」出場
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初戦をストレートで勝利し、4大大会初勝利するも2回戦でアドリアン マナリノ選手にフルセットで敗退
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2017年8月
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「ウエスタン・アンド・サザン・オープン(米国)ATP1000」出場
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マスターズ1000初のベスト8
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2017年9月
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デビスカップ ワールドグループプレーオフ(ブラジル)戦にシングルス2試合で出場
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錦織圭不在の中、日本のエースとして2勝し、ワールドグループ残留に貢献する
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2017年9月
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「成都オープン(中国) ATP250」
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デニス イトミンにフルセットで敗れ、ベスト4
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2017年10月
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「楽天ジャパンオープン ATP500 」
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アドリアン マナリノ選手にストレートでで敗退し、ベスト8⇒世界ランキング自己最高位36位へ。
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2017年10月
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「上海マスターズ(中国) ATP1000」
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サム クエリー選手に1回戦でストレート敗退
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2017年10月
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「ストックホルムオープン(スウェーデン)ATP250」
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初戦 デニス イトミン、2回戦マルコス バクダに勝利するも、3回戦ディスフアン マルティン デル=ポトロにストレート負けベスト8
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2017年10月
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「スイス・インドア ATP500」
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1回戦でデニス シャポバロフに敗退
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杉田祐一選手のシングルスランキング推移(各年末時、2017年は10月30日時点)
(男子ツアーの構造)
純国産
「純国産」と言われている杉田選手は、錦織圭、西岡良仁、内山靖崇のような海外留学の経験はありません。
海外に行かなくても強くなることができる!という意味でも注目され、日本テニス界に希望を与えてくれている選手です。
杉田選手は「持ち場で頑張るしかない。他の環境をうらやむことはありません。ベースは日本でやっていても可能性があると証明したい」とかつて信念を語ったことがあります。
2017年のATP250「アンタルヤ・オープン」で優勝したあとのインタビューでは、
「僕は日本で育ったので、そういった環境で、ツアーでチャンピオンになれたということは、僕自身、伝えられることが何かあるんじゃないかなかと。これからツアーに定着するようになったら、とても大きな意味があると思ってます。」と語っています。
経歴&本人の言葉
ジュニア時代
小学1年生から母親の通っていた仙台市の「泉パークタウンセンター」でテニスを始める。
姉もテニスをやっていたので、遊び感覚で始めるも、姉はすぐやめてしまうが、杉田祐一は「テニスが好きで面白かったから」続ける。
小学3年生から試合に出始める。
1999年 小学校5年の時に東北代表として「全国小学生大会」に出場するまでと成長するも、1回戦で敗退。
東北出身の選手でトップレベルに達した人は、あまりおらず、「環境」や「情報」には恵まれないということもあったと思われるが、東京での練習をすすめられ、上手くなりたい一心で毎週末、新幹線で千葉県柏市の吉田記念テニス研修センター(TTC)に通う。
2000年 小学6年生で出場した「全国小学生大会」優勝者の喜多文明選手に敗れ、2回戦敗退。(このとき、同じく小6で出場の伊藤竜馬選手はベスト4、小5で出場の錦織圭選手はベスト8)
中学校2年生時には姉と2人だけでテニスのために柏に引っ越し、毎日TTCで練習を重ねる。
2003年 8月「全国中学校大会」は、ベスト8止まり。(伊藤竜馬選手は準優勝)
当時の心境について自身の言葉から
「欲しかったのは情報でしたね。仙台では日本のトップや海外の選手が何をしているか分からなかった」 「幸い大きな故障がなかった。そんなふうに育て、小学生の自分を関東に送り出してくれた両親の判断に感謝しています。もっと上に行けると思っています」
出典:河北新報 |
2003年9月 プロの試合に初出場 フューチャーズ大会「F6かしわ国際オープン」松井俊英選手に1-6,1-6で敗退。
スーパー高校生時代
2004年 漫画 「テニスの王子様」 の “立海大附属中”のモデル とも言われる 湘南工科大付属高等学校(神奈川県藤沢市)に進学。
2004年 | 「全日本ジュニア16歳以下」シングルス優勝。 |
2005年 |
「インターハイ」シングルス優勝。 「全日本ジュニア18歳以下単複」準優勝。 |
2006年 |
1月「全豪オープンジュニア男子シングルス」出場。 8月「全日本ジュニア18歳以下」単複優勝。 9月 ジャパン大阪F9フューチャーズ初優勝 同年10月1日、高校3年生で三菱電機とプロ契約。 直後に開催された「大阪市長杯世界スーパージュニアテニス選手権大会」男子シングルス優勝。日本人としては、94年大会の鈴木貴男以来12年振りの優勝。 同年12月 高校生初となる「日本リーグ」出場。 |
数々の高校生初となる成績をあげ「天才テニスプレイヤー」と言われる。
・フューチャーズ大会で優勝した「史上初の高校生」 ・デビスカップのシングルスで勝利した「史上初の高校生」 ・日本リーグでプレーした「史上初の高校生」 |
プロ転向後
高校3年生の10月には、三菱電機と契約してプロに転向しました。
以降、三菱電機がアドバイザリー契約を結ぶ、世界的に有名な松岡修造、ボリス ベッカー、ゴーラン イバニセビッチを指導した名コーチのボブ ブレッド氏(オーストラリア)の指導を受けることができるようになりました。
(現在は、ボブ ブレッド氏の紹介のブライアン ネロスがツアーコーチ。)
翌年の2007年には、将来的に世界で活躍できる実力とさわやかな人柄とルックスに魅力があることから、「家電ヒーロー 主婦レーマン」というイメージキャラクターに起用されます。
ちょっとしたコスプレ?のようですが、主婦の困りごとを聞いた瞬間、プロテニスプレーヤーからシュフレーマンに変身!問題を胸のすくショットで日ごろの様々な主婦の悩みをズバっと解決する奥様方のヒーローという設定でした。
(画像 三菱電機)
(画像 見るテニス)
2007年 |
【躍進期】
・早稲田大学のスポーツ科学部にトップアスリート入学試験を経て入学。
早大のトップアスリート(第一期)試験の合格者は6人。(同期の合格者~卓球の福原愛、ノルディック複合の渡部暁斗など)
・デビスカップ日本代表に選出され最年少勝利記録を作ります。
2007年の最高ランキングは465位。
ATPシングルスランキング推移2007年
2008年 |
【スランプ】
スランプでATPランキングが1000番台に落ちる。
ATPシングルスランキング推移2008年
【躍進期】
しかし、そこから6月開催の「昭和F6フューチャーズ大会優勝を皮切りにフューチャーズ大会4連続優勝。
年初に1007位タイのシングルスランクを 年末には341位まで大幅にランクアップ!
杉田選手も、その時はこれまでと違い自信がついたと語っています。
――「実は2008年の昭和の森、そして有明国際、インドネシアF1,F2と、その頃決勝戦では1度も負けなかった時がありました。」
2009年 |
【漸進期】
200番台~300番台のATPランキングで、初めて自力でのATPツアー本戦出場を果たす。
「全日本テニス選手権シングルス」では初の決勝進出をするも、添田豪選手に敗れ準優勝。
2010年 |
【漸進期】
ランキングは1月の300位から年末の180位と100番台後半へ。
3月 「島津全日本室内テニス選手権大会」でATPチャレンジャーツアー初優勝。
10月 「全日本テニス選手権シングルス」では、鈴木貴男選手をストレートで下し大会初優勝。
2011年 |
【漸進期】
ランキングは1月の180位から年末の235位へ。年間を通じて、100番台後半から200番台前半。
1月 「チェンナイ・オープン」(インド/ハード)では予選を勝ち上がり、ATPワールドツアーでのシングルス初勝利!
☆もっと上手くなりたい、もっと試合に勝ちたいと思っているならば↓
2012年 |
【漸進&苦悩期】
ランキングは1月の209位から年末の117位へ。トップ100位は目の前。
杉田選手の11月1日ブログより
今年の七月に行われたウィンブルドンが正直かなりのダメージとなっていました。予選決勝まで進み、相手は数週前のチャレンジャー大会で勝っていた選手との再戦でした。 結果は四時間近くの試合になり5セットにもつれるも、ファイナル2-6で敗退。 その後もポイントを取りに行った中国三大会も大不発。最終週QFでは6-4、4-1からの逆転負け。気持ちを入れ替えむかえたUSオープンでは一回戦で敗退。 こんなにもきっかけが掴めないものかと、肩を落としていました。そんな時って昔を思い出したりしてしまうものですね。 ジュニアの時はあんなにも簡単に掴めていたチャンスが、今ではこんなにも難しく遠くて重いなと。 |
1月 「チェンナイ・オープン」 (インド/ハード)の予選から本戦出場へ、初のATPワールドツアーベスト8進出を果たす。
11月 「全日本テニス選手権シングルス」で同期の伊藤竜馬選手をストレートで下し2年ぶり2度目の優勝!
2013年 |
【低迷期】
ランキングは1月の130位から年末の170位へ。
5月~6月 神経を痛めて首から肩甲骨まで使えずリハビリとトレーニング。
9月、「上海チャレンジャー」 (中国/ハード)で、守屋宏紀選手をストレートで下しチャレンジャーツアー2勝目。
2014年 |
【漸進期】
ランキングは1月の162位から年末の131位へ。
6月 「ウィンブルドン選手権」にて、予選を突破し初めてのグランドスラム本選出場を果たす(18回目の予選出場)も19シードのフェリシアーノ ロペスに6-7、6-7、6-7とストレートで敗れ、初戦敗退。
杉田選手の6月20日ブログより
一つの目標を達成しました。グランドスラム予選突破です。 (中略) ここまで来るのに多くのサポートがあり感謝の気持ちはたいへん大きいのですが、その前にこの夢を叶えるために多くの方々迷惑をかけて来ました。 思い通りにいかないことだらけで自分の意見を無理に押し通したことも山々です。こんな自分を良くないと思う人も沢山いたことでしょう。そのように感じた方に、まずは謝罪の気持ちと頑張っていることを伝えたいと。 そしてこんな私を見捨てないで必死になってサポートしてくれた方々が沢山います。本当に今までありがとうございます。 |
8月 「全米オープン」予選決勝で足を痛めて敗退、その後予定した2試合を欠場。
9月 「仁川アジア大会」の団体戦、シングルス、ミックスダブルスの三種目で銅メダルを獲得。
10月 プネーチャレンジャー(インド/ハード)で優勝し、チャレンジャーツアー3勝目をあげた。
2015年 |
【漸進期】
ランキングは1月の131位から年末の126位へ。
4月~5月 怪我で約1か月試合に出場せず。
6月 「ウィンブルドン選手権」の予選を突破し2年連続で本戦出場するも1回戦敗退。
7月 「テニス殿堂選手権」、「コロンビア・オープン」ではともに2回戦に進出した。
9月 「バンコクチャレンジャー」 (タイ/ハード)で優勝
11月 「ホアヒンチャレンジャー」 (タイ/ハード)で優勝
チャレンジャーツアーにおいて、自身初の1シーズンでの複数回優勝を果たす。
2016年 |
【発展期】
ランキングは1月の126位から年末の112位へ。
初のトップ100入り!
1月 全豪オープン予選を勝ち進み、「全豪オープン」初出場を果たす。本戦1回戦で第23シードのガエル モンフィスと対戦し、1-6, 3-6, 2-6で敗れる。
2月 「京都チャレンジャー」(日本/屋内カーペット)で優勝し、チャレンジャーツアー6勝目を挙げる。翌週2月29日付の世界ランキングで99位に浮上し、トップ100入り!
杉田選手の3月5日ブログより
先週行われました京都チャレンジャーにて優勝することが出来ました‼キャリア6勝目となる優勝です。 また今回の優勝にて1つの大きな目標であったトップ100を切ることができました。 プロになって10年目でようやく達成できたことを嬉しく思います。 ここに至るまでご協力下さった皆様に本当に感謝です。 ありがとうございます。 もう少し嬉しいかと思っていたのですが、私自身なんとも冷静です。 |
全仏オープンを欠場して、ウインウルドン本戦にストレートイン、リオデジャネイロ五輪の出場※を狙って4月、台湾チャレンジャー、5月釜山チャレンジャー、ソウルチャレンジャー、バンコクチャレンジャーとアジアを転戦するも結果を出せず。
杉田選手の5月29日ブログより
地獄のような二ヶ月になってしまいました。 狙っていたグランドスラム本戦、そしてオリンピック等、何一つ達成出来ず、芝シーズンへと突入することとなってしまいました。 ひとつの大きな区切りを終え、結果を残せなかった自分を責め、苦しい期間となっていました。 試合をするなかで徐々に何を目標にしているのか分からなくなったり、どんなプレーをしたいのかも一貫することが出来なくなったりでした。 |
※リオオリンピック出場資格 男子ATP世界ランキング2016年6月6日付で56以内もしくは、ITF(国際テニス連盟)の推薦枠が6名で、残りの2名はIOC(国際オリンピック委員会)によって選出される |
6月 「ゲリー・ウェバー・オープン」(ドイツ/芝)で、予選を突破し、1回戦でテイラー フリッツにフルセットの上、勝利し500シリーズでの初勝利を挙げる。2回戦で前年度準優勝者のセッピに敗れ、敗退。
6月 「ウィンブルドン」予選は、イギリスのテニスクラブコーチでありながら出場し話題となったマーカス ウィリスに1回戦で敗れ、3年連続本戦出場はならず。
7月 「ロジャーズ・カップ」 (カナダ/ハード)においてマスターズ1000の本戦初出場を果たすが、1回戦でグリゴール ディミトロフにフルセットで惜敗。
8月 ランキング上位者の欠場により、ITF推薦枠で五輪初出場を果たす。
シングルス2回戦で第15シードのジル シモンに6-7(3), 2-6で敗退しベスト32。
8月 翌週「シンシナティ・マスターズ(米国/ハード)ATP1000」1回戦で世界ランク27位アレクサンダー ズベレフに6-7(4), 6-4, 6-2とマスターズ1000初勝利。2回戦でニコラ マユに6-3, 7-5で勝利、3回戦では世界ランク6位のミロシュ ラオニッチに1-6, 6-3, 3-6で敗れ、マスターズ初のベスト16。
大会後の世界ランキングで自己最高の82位にアップ。
8月 「全米オープン」は予選2回戦では膝を痛め、アレッサンドロ ジャネッシに3-6, 6-3, 5-7で敗れた。
9月 「デビスカップワールドグループ・プレーオフ」ウクライナ戦の日本代表に2年半ぶりに招聘される。第3試合のダブルスに錦織圭と組んで出場し、スミルノフ,スタホフスキー組に6-3, 6-0, 6-3で勝利し、日本のワールドグループ残留に貢献した。
錦織選手とのペア
2017年 |
【飛躍期】
3月 「慶應チャレンジャー」(横浜)で優勝、チャレンジャー7勝目、「深圳チャレンジャー」(中国)でも優勝しチャレンジャー8勝目、トップ100に復帰
4月 「モンテカルロ・ロレックス・マスターズATP1000」(モナコ/クレー)予選決勝でアドリアン マナリノ※に3-6 4-6で敗れる。
※アドリアン マナリノ選手(フランス)は、2017年の杉田選手の因縁の相手。節目となる大会で必ず対戦し、半年で4度対戦し2勝2敗。
「バルセロナ・オープンATP500」(スペイン/クレー)は予選決勝で敗退。しかし、第2シードで出場予定だった錦織圭選手が負傷により欠場したことにより、ラッキールーザー※枠が生まれ、本戦に出場。
ラッキールーザーとは 怪我や病気などで本戦に出られなくなってしまった選手の補充として、予選敗退した選手の中から代わりに出場する選手を選ぶシステムのことです。 ラッキールーザーは予選出場者に限られ、予選最終ラウンドの敗者の中でランキング保持者を優先し、抽選で順位が決められます。Lucky Loser=LLと表記されます。 |
1回戦 元世界ランキング5位のトミー ロブレドに6-4, 6-3で勝利
2回戦 第9シードのリシャール ガスケを4-6, 6-3, 7-6(3)で逆転勝利
3回戦 第7シードのパブロ カレーニョ ブスタを6-3, 6-3で勝利
シード選手を続けて撃破し、ATP500の大会で初のベスト8進出を果たすも、準々決勝で第4シードのドミニク ティエムに1-6, 2-6で敗れた。
大会後のランキングでは、自己最高位の73位となる。
5月 「全仏オープン」に本戦から出場
1回戦で第25シードのスティーブ ジョンソンに日没順延を挟んで2日がかりの試合となり、3-6, 3-6, 7-6(4), 7-6(3), 3-6で敗れた。
6月 「AEGONサービトン・チャレンジャー」 (英国/芝)で大会期間中1セットも落とさずに優勝し、チャレンジャー通算9勝目を挙げる。
大会後のランキングで自己最高位を64位に更新。
6月 「ハレ・オープン」 (ドイツ/芝)では、予選2回戦で敗退するも、ラッキー・ルーザーを獲得し、本戦への出場。
1回戦で、第1シードのロジャー フェデラーと対戦3-6,1-6 52分間で敗退。
「ハレ オープン」フェデラー選手と
前出のボブ ブレッド氏はこの試合を観戦して
「ユーイチがグラスコートの王者フェデラーと戦えたことは何よりも宝であり、経験だ。
しかも彼の得意であり、最も彼の技術が生きる舞台で。打ちのめされただろうが、実戦でしか学べない、貴重な手ごたえも感じただろう。」と語っています。
杉田選手自身はこの試合について、のちに
「勉強になったというか、本当にいい経験でした。あの試合が(アンタルヤでの)優勝に導いてくれたと思っています。早いタイミングのテニスを、自分自身の武器だと思っていますが、フェデラーはもうすごい早いテンポでフォアもバックも打ってきて、衝撃を受けました。」と語っています。
7月 「アンタルヤ・オープン」(トルコ/芝)ATP250でツアー初優勝!!
ウィンブルドン選手権大会の前哨戦として2017年度から新設された、アンタルヤ・オープンに出場。
2回戦 第4シードの元世界ランキング3位のダビド フェレールに6-3,3-6,7-6(2)で勝利
準決勝 元世界ランキング8位のマルコス バグダティスに対し、6-3 6-7(7) 4-1の時点でバグダティスが棄権したため、初のATPツアー決勝進出
決勝 気温44度の酷暑の中で、同じくツアー初優勝を狙うアドリアン マナリノに6-1, 7-6(4)で勝利してATPツアー初優勝を達成!同大会の初代王者となる。
杉田選手の優勝は、グラス(芝)コートでのツアー大会日本人初優勝
さらに、史上初のグラスコートのサーフェスでの同一シーズンにおけるチャレンジャー大会及びツアー大会の優勝を達成することにもなった。
大会後のATPランキングで44位となり、トップ50入り、松岡修造さんが現役時代に記録した世界ランキング最高位の46位を越えて日本人歴代2位の世界ランキングを記録した。
アンタルヤ・オープンの優勝カップを掲げる様子
7月 「ウインブルドン選手権」
1回戦 ブレイダン クレインに7-6,6-3、6-0と勝利。
2回戦 アドリアン マナリノに1-6、7-5、6-4、6-7、2-6と3時間半を超えるフルセットの末、敗退。
2017年因縁のマナリノ選手
8月 「ウエスタン・アンド・サザン・オープン」(米国/ハード)
1回戦 第13シードジャック ソックを7-5、6-4で勝利
3回戦 カレン ハチャノフを破りマスターズ1000初のベスト8進出を果たす。
(ハチャノフ選手は本来の大会ドローでは、ロジャー フェデラー選手と対戦予定であったが、フェデラーの腰負傷による棄権のため、ラッキールーザーの選手と対戦していた)
準々決勝 この大会優勝の第7シードのグリゴール ディミトロフに2-6、1-6のストレートで敗退。
8~9月 「全米オープン」は、本戦から初出場となる。
1回戦 ジョフレー ブランカノー戦は、雨天順延となり2日がかりの試合を3-0で勝ち、全米オープン初勝利を挙げる。
2回戦 レオナルド マイエルに7-6(3), 4-6, 3-6, 4-6で敗退。
9月 「デビスカップワールドグループ・プレーオフ ブラジル戦」(日本/大阪、靱テニスセンター)錦織圭選手不在のため、日本のエースとしてシングルス2試合に出場し、2勝する。
第1試合 ギジェルメ クレザールに6-2, 7-5, 7-6(5)で勝利
第4試合 チアゴ モンテイロに6-3, 6-2, 6-3で勝利し、添田豪選手のシングルス勝利もあり3勝1敗として、日本のワールドグループ残留に貢献した。
9月 「成都オープン」ATP250(中国/ハード)
1回戦 マテ パビッチの途中棄権で勝利
2回戦 チアゴ モンテーロ(ブラジル)に6-4 6-1で勝利する
3回戦 ドゥサン ラヨビッチを6-2 6-4で破ってベスト4入り
準決勝 デニス イストミンに2-6 7-6(4) 0-6で敗れる。
10月 「楽天ジャパン・オープン」ATP500(日本/ハード)
1回戦 ブノワ ペールに1セット6-4となり、2セット目に入ったところで相手の途中棄権で勝利
2回戦 ミロシュ ラオニッチが試合開始直後に途中棄権を申し出て勝利、ベスト8進出
準々決勝 アドリアン マラリノに2-6, 4-6のストレートで敗れる。
10月 「ストックホルム・オープン」ATP250(スウェーデン/ハード)
1回戦 デニス イストミンに1-6, 6-3, 7-6で勝利。
2回戦 マルコス バグダティスに6-3、3-6、6-2で勝利、ベスト8入り。
準々決勝 ファン マルティン デルポトロに2-6, 6-7で敗退。
10月 「パリ・マスターズ」ATP1000(フランス/ハード)1回戦で77位のフィリップ クライノビッチに4-6, 2-6のストレートで敗れ、初戦で敗退。
この試合をもって、2017年のシーズンを終えることとなった。
高い身体能力を作るトレーニング
身長があまり高くなく、細身に見える杉田選手は素晴らしい身体能力を持っています。
トレーニングをしている動画がありましたので、紹介します。
2009年イタリア サンレモにあるボブ ブレッドのアカデミーでの様子です。
<垂直飛び>高いバーを簡単に超えています
<腹筋1>左右にキレキレの動きで行っています
<腹筋2>重たいメディシンボールを使ってもキレっキレっです
Yuichi Sugita
(追記1)
11月3日の杉田選手のブログで背中の腫瘍手術の報告がありました。
「一時的にテニスから離れなければなりません。少しの休養を挟み、背中にできた腫瘍の摘出手術を受けることになりました。」
11月13日開幕のダンロップ・スリクソン・ワールドチャレンジ(日本/愛知、カーペット)を欠場し、治療へ専念し、来年年始のスタート予定とのことです。
11月15日の杉田選手のTwitterから、手術成功の報告がありました。
「無事手術を終えました。成功ということで年始のスタートに間に合うかと思います。」とのことですので、来シーズンの活躍を期待できそうです。
(追記2)
対世界ランクトップ10に勝利!
2018年1月開催の全豪オープン男子シングルスには、2回戦から
トップ10に初勝利!
1回戦で、第8シード世界ランク9位のジャック・ソック(アメリカ)に6-1, 7-6(4), 5-7, 6-3で勝利し、全豪初勝利。
トップ10の選手から初めて勝利を挙げた。
2回戦で、世界ランク89位211cmの超長身のビックサーバー、イボ・カロビッチ(クロアチア)に6-7 (3-7), 7-6 (7-3), 5-7, 6-4, 10-12の4時間半超えの激闘となったフルセットの末敗れ、惜しくも四大大会初の3回戦進出とはならなかった。
まとめ
「天才高校生」と注目されながらも、2009年から14年にかけては、17回連続で四大大会予選敗退と「苦労人」へと転じた杉田祐一選手。
これまでの選手生活の歩みが実って、28歳となっての2017年は大ブレイクの年となりました。
色々なラッキーな運に恵まれた部分もありますが、真摯に努力してきた内面やフィジカルの成長と自信がかみあわさってのキャリア最高の順位の36位となりました。
これまでにはなかったトップ選手と戦う経験を生かして、自分の持ち味を生かしたプレーをすることで、さらなる今後の活躍をしていただき、他の日本人選手たちへのいい刺激となることを期待します。