テニスファンの皆さんに、テニスの起源や歴史をお伝えします。今では、テニスは世界中で競技されるメジャーなスポーツの一つです。
テニスの前身のゲームは、貴族の遊びとして行われ、500年ほど前からスポーツとして競技されるようになりました。
現在では、世界のテニス人口は約1億1000万人と言われています。バスケット、サッカー、クリケットに次いで4位の人口です。
日本のテニスの歴史は、100年ほどですが、今では日本中に広まり、日本のプロプレーヤーが世界で活躍しています。
世界の人に親しまれ、夢中になるテニスの歴史を知って、よりテニスに興味を持ってください。
この記事の目次
テニスの歴史
テニスの起源はエジプトの宗教行為!?
テニスの起源は、紀元前3000年といわれています。
古代エジプト時代、ナイル川の三角州にあった、”チニスTinnis”または”タミスTamis”と呼ばれた町で行われていたボールゲームが発展したという説や、ペルシア地方の古い球技から発展したという説など多くの説があります。
テニスの名前は、町の名に由来し、 ラケットはアラビア語の手のひらの「ラプート」から進化したとも言われています。
古代エジプトでは、数人が集まり球を打ち合う行為を宗教的なものとして行っていたようで、その様子を描いた紀元前15世紀の壁画が発見されています。
エジプトの壁画をご紹介したかったのですが、見つかりませんでした。
代わりに、古代エジプトの神のテニスの包装紙 ラッピングペーパーというものを見つけました!
リアルなタッチ描れていますが、手のひらで打っていたはずの時代ですが、すでにラケットを使っている絵柄となっています(*_*)
けれども、この時代からテニスのようなものをやっていたのかもと思いをはせるにはいいですね。
画像:zazzle
中世のフランス貴族で大流行!「リアルテニス」
現代のテニスの原型と一般に認知されているのは、11~12世紀にフランスの修道院で考え出された、フランス語で「手のひら(paume)の遊び、ゲーム」を意味する「ジュ・ド・ポーム」(jeu de paume)です。
8世紀のフランスで、「ラ・ソーユ」という球技が行われるようになりました。
これは、イベリア半島から南フランスまで進出していたイスラム教徒が宗教的行為として行っていたものに、フランスのキリスト教の修道士が興味を持ち、模倣したことから始まったとされています。
11世紀頃には、フランスの修道院の中庭や室内にネットを張ったり、地面に線を引いたりして、区域を分けて、手のひらやグローブをはめた手、もしくはそれに代わるラケット状の道具を使ってボールを打ち合ったといわれています。
下の画像は、15世紀頃のラケット。
グローブのように手にはめて使っていました。
画像:神奈川Cスポ探索日記
1505年には、初の国際大会が開かれました。
さらに、16世紀から17世紀にかけてのフランスおよびイギリスの絶対王政時代に全盛期を迎え、王室、僧侶、貴族の間に流行。宮殿や教会の室内や壁に囲まれた庭で行われていました。
ポームは、初めは聖職者に、その後は貴族階級を中心に流行し、ほかの階級の人々はプレーを禁じられていました。
ポーム人気が高まるにつれ、各地で専門コートが建設され、ほかの類似の打球ゲームと区別するため、ポームを「リアルテニス」と呼ぶようになりました。
当時は、二人がペアとなって、どれだけ長くラリーを続けられるかを競ったゲームでした。
その後、初めて国際試合が行われたのは1505年。
それ以降各地でコートが建設され、本格的に対戦目的のゲームとして普及していきました。
ジュドポームの競技風景
1632年にパリで出版された中世のテニス解説書の口絵
出典 『The Annals of Tennis』(1878年刊)
コートの外にいる召使いが最初の一球目を投げて、それを打つところからスタートするというルールでした。
テニスでゲームをする時に、最初に打つショットを「サービス」と言いますが、この言葉が生まれた理由もそこにあります。
詳しくは、こちらの記事をご覧ください。
屋内で競技するジュ・ド・ポームのコートは、床とそれを囲む壁面、さらにその壁面に沿って設置される庇(ひさし)から構成されています。
ネットはピンと張らず、中央の部分が低くなるようにわざとゆるませています。
現代でも、実はこのジュ・ド・ポームは行われています。
スカッシュにも似ていて、壁や庇を利用して打つ複雑さが面白そうです。
この競技の動画がありましたので、興味のある方はご覧ください。
イギリスで考案された「ローンテニス」が世界へ広がる
ジュ・ド・ポームは、ヨーロッパ各地で流行するようになりましたが、ルールの統一がされておらず混乱が絶えませんでした。
そうした中、現代のテニスの大元となる競技が作られました。
1873年、英国のウォルター・ウィングフィールド少佐が、発明されたばかりの芝生で弾むボールに着目して、「スファイリスティック(ギリシア語でプレーの意)またはローンテニス」と名づけた新しい競技を考案しました。
ローンテニスは、コート、ルール、用具を整理統一しました。
・コートは、二つの台形を短い辺で合わせた砂時計型にデザインしたもの
・ボールは、中空のゴムボール(ソフトテニスボールと同様なもの)
・ネットの高さはかなり高く、センターで1.42mもあったそうです
ウィングフィールド少佐は、このコートに合わせた三角形のネットと洋ナシ形のラケット4本、ゴムボールにルールブックを付けたものをセットにして「実用新案特許」を申請し、商品化したのです。
発売されたローンテニス・セットの解説書に図解されているゲームのイラスト
出典◎『WINGFIELD: Edwardian Gentleman』(1986年刊)
「ローンテニス」は、芝生(lawn)の上ならどこでも楽しめる「持ち運びのできるテニス」といわれ、男女ともにでき、運動になるという点でこれまでのいかなるスポーツとも異なっていたため、このゲームはまたたく間に人気になり、近代テニスの元祖となりました。
画像:テニス発祥記念館の展示品
これまでと違って女性も楽しめるテニス。婦人たちは、ボンネットを被り、長いスカートに手袋というスタイルでプレーをしていたそうです。
画像:テニス発祥記念館の展示品
正しいコートサイズやネットの高さを知りたい方はこちらの記事をどうぞ
弾むボールの開発
1874年には、より弾むボールが開発されました。
それまでジュ・ド・ポームで用いられていた中芯のあるボールは、芝生の上では弾みが悪かったのです。
弁護士でテニスプレイヤーであった英国のジョン・モイヤー・ヒースコートによって、ゴムボールの表面をフランネル布で補強したことで、芝生の上でも十分弾むだけでなく、軽量化され、操作性も向上しました。
下は、ローンテニス以前のボール画像です。
右側のボールは、石を芯にして、その上から布を包んで糸で巻いたもの。
画像:神奈川Cスポ探索日記
硬式テニスのややこしいポイントの数え方も歴史あり。こちらの記事をどうぞ。
ウィンブルドン大会の創設
1875年には、イギリスのロンドンのウィンブルドンにある「オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ(All England Lawn Tennis and Croquet Club)※」がこの競技を採用。
※毎年開催される「」ウィンブルドン選手権」の会場
ローンテニスは、その後わずかな間に広まり、改良が加えられ、1877年には、「オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ」によってアマチュアのオープン大会として「ウィンブルドン大会」が創設され、このときに、コートの広さや得点方法など、さまざまなルールが決められました。
1877年7月19日の第一回大会では、22人の参加選手(男子シングルス)、200人の観客(決勝の時)を集めて開催され、S.W.ゴアが 61/62/64 で優勝した、と記録に残っています。
このとき用いられたルールは、すでに、現代の得点法、長方形のコート、サーバーの位置など現行のテニスの形がほぼできあがっていました。
第1回ウインブルドン大会と伝えられている絵
出典◎『WIMBLEDON: the Official History of the Championships』(2001年刊)
現在、行われている「全英オープンテニス」についてはこちらをどうぞ
その後、ネットポストの材質が木製から1880年代になって鋼鉄製となり、ネットを強く張ることができるようになりました。
それ以前は、ネットの高さはセンターで0.99m,両サイドは1.54mもあったそうです。
そのため、第1回大会の出場選手は、男子22名の参加で、みんな下からアンダーサーブ(下から山なりに打ち上げるサーブ)を打っていたそうです。
1883年には、コートサイズ縦23. 77m×シングルス8. 23m、ダブルス10. 97m、ポール1. 07m、ネットストラップ0. 914m、サービスボックスの長さ6. 4m等々の現行サイズが決まりました。
ネットの高さの変化は、ラリーの応酬のための適切な高さが求められたことも要因です。
ネットが低くなったことで、サーブも上から打つサーブへと変わっていきました。
1897年ウィンブルドン選手権 J. Parmley Paret
アメリカでは1881年ニューポートにおいて第1回全米選手権が行われ、その後テニスは世界各地で行われるようになっていきます。
ネットの真ん中をストラップで低くしている理由、ネットに関する歴史、今後のネットの高さについてはこちらをどうぞ
歴史を知るおススメポイント
テニスの歴史をもっと知りたいという方に。
歴史を知ることのできる場所やサイトをご紹介します。
横浜「テニス発祥記念館」
ボールやラケットの説明で用いた画像は、横浜の「テニス発祥記念館」で展示されているものです。
明治7年にイギリスで始まったローンテニスが、明治9年に横浜に伝わり、山手公園の中にテニスコートが2面つくられ、ここからテニスが全国に広まりました。
テニスの発祥の地を記念して建てられたもので、テニスウエアやラケットの変遷など、テニスの歴史を展示公開しています。
オムニコート6面も併設されています。
有明テニスの森 日本テニス協会
有明テニスの森公園クラブハウス1階ロビーにて、公益財団法人日本テニス協会(JTA)テニスミュージアム委員会で保管または拝借している歴史的資料を常設展示しています。
オリンピック日本初メダリスト熊谷一彌氏使用ラケット、1955年全米ダブルス宮城淳・加茂公成組優勝カップ、宮城黎子さんの全日本8連覇、沢松和子さんの優勝杯など歴史資料が展示されています。
※「有明テニスの森公園」は東京2020大会の競技会場となり、有明コロシアムの建物などが老朽化しているため、改修工事をしています。
クラブハウスは、平成29年11月1日~平成31年7月予定のようですが、訪問する前に利用が可能か確認をしてから出かけるようにしてください。
問い合わせ先 東京港埠頭株式会社 有明テニスの森公園管理事務所 電話 03-3529-3301
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実は、日本には「テニス博物館」がないため、日本テニス協会では「テニスミュージアムに関わる寄附金」という募金活動をしています。
今後、「テニス博物館」がオープンしたら、テニス文化、歴史の資料が公開されることになると思いますので、期待していましょう。
日本テニス協会ホームページ
公益財団法人日本テニス協会(JTA)のホームページの「歴史」カテゴリーに日本にテニスが伝来した歴史から、世界へ進出し、大活躍をした時代などの年表から、思い出に残る試合などを知ることができます。
まとめ
日本でもメジャーのスポーツとして人気のテニスがどのような起源や変遷を経て、今のようなコートやラケットを使ってプレーするようになったかの歴史についてお伝えしました。
長い歴史の中で人々に愛され、現在も世界で愛されている「テニス」。
テニスを語るうえで、歴史も知っていきただく、こちらにまとめさせていだきました。
もっと歴史を知りたい方へ、実際に昔のテニス道具やウエアを見ることができる場所やホームページもご紹介しましたので、ぜひそちらへも足をお運びください。
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