テニス「全米オープン」とは?世界最大のテニス大会
「全豪オープン」「全仏オープン」「全英オープン」に続いて、年間スケジュールで最後のグランドスラム大会が「全米オープン」。
2014年に錦織 圭選手がグランドスラム大会シングルスで初めて決勝まで勝ち上がり、2018年には大坂なおみ選手が日本人男女を通じてグランドスラム大会シングルス初の優勝を飾ったのがこの「全米オープン」です。
今回は、毎年8月後半から9月のはじめにかけて開催される「全米オープンテニス」について、その歴史や会場、コートの特徴などをお伝えいたします。
この記事の目次
全米オープンテニスの歴史
1881年に開催されたアマチュアの「全米選手権」が、全米オープンテニスの起源です。
この時は男子シングルスと男子ダブルスだけが行われました。
その後、1887年にフィラデルフィア・クリケット・クラブで全米女子選手権が行われ、1889年には女子ダブルス部門、1892年に混合ダブルス部門が追加されました。
会場は、部門ごとに異なる会場で行われていましたが、1942年に5部門の会場をニューヨークのフォレストヒルズにまとめました。
しかし、1947年以降はまたもや各部門の会場は散らばってしまいました。
1968年、全米選手権がプロ選手に解放され、「全米オープンテニス」が誕生しました。
これを機に、5部門は会場が再びフォレストヒルズのウェストサイドテニスクラブにまとめられ、これ以降は現在に至るまで5部門共催が続いています。
下の写真は現在のウェストサイドテニスクラブ。
画像:REGO-FOREST PRESERVATION COUNCIL
しかし、観客が急増しウェストサイドテニスクラブでは対応しきれなくなってしまい、全米テニス協会(USTA)は、1977年に同じニューヨークのフラッシングメドウにUSTAナショナルテニスセンターを建設し、会場をここに移しました。
全米オープンテニスの会場
コートの特徴
「全米オープン」のコートサーフェスは、「全豪オープン」と同じくハードコートです。
画像:テニス徒然草
ハードコートは、ボールのバウンドが高く、なおかつ球足が速いという特徴があります。
バウンド後も、ボールの威力がそれほど落ちません。
全米オープンのコートは同じハードコートの中でも速いサーフェスです。ウィンブルドンの芝に勝るとも劣らない速さと言われています。
長身のビッグサーバーはその特徴を活かせますし、トップスピンが得意なストローカーも高く弾むボールで相手を翻弄(ほんろう)することができます。
ベースラインからのストロークで、ウィナーを取ることも可能なコートです。
会場へのアクセス
「全米オープン」が行われるUSTAナショルテニスセンターは、ニューヨークの郊外、クイーンズ区にあるフラッシングメドウのコロナパーク内にあります。
マンハッタンのタイムズスクエアから西におよそ12キロ。ニューヨーク市街から電車で約30分です。
会場の最寄駅は、「Mets-Willets Point」です。
大リーグのニューヨーク・メッツのホームグラウンド「シティ フィールド」も、このコロナパークにあるんですね。
その「シティ フィールド」はMets-Willets Point駅の目の前。
会場の概要
1977年に建設されたUSTAナショルテニスセンターは、2006年にアメリカの女子テニス界の名プレーヤーであるビリー ジーン キングの功績をたたえて、現在の「USTAビリー ジーン キング ナショナルテニスセンター」という名称になりました。
(住所 Flushing Meadow Corona Park,Flushing,NY 11368)
画像:うわのそら事件簿
ビリー ジーン キングは、1960年代から80年代にかけて女子テニス界をリードした選手。
4大大会だけでもで通算39勝(単複合計)を上げ、生涯グランドスラムも達成した偉大なプレーヤーです。
そしてWTA(Women’s Tennis Association :女子テニス協会)を設立し、女子スポーツに革命的な影響を及ぼした存在でもあります。
センターコートは「アーサー アッシュ スタジアム」
1997年には、新しく2万人以上を収容できる世界最大のテニススタジアムが建設されました。
全米オープン初代優勝者の名を付けて「アーサー アッシュ スタジアム」と命名されました。
収容人数23,771人という世界最大のテニススタジアム。2016年には可動式の屋根が付きました。
アーサー アッシュは、1960年代、70年代に活躍したアメリカ人プレーヤーです。
「全米オープン」だけでなく、「全豪オープン」「全英オープン」でそれぞれ1回の優勝があります。
画像:Shte blog
「全英オープン」については下の記事もご参考に。
2番目に大きなコートが「ルイ アームストロング スタジアム」
1996年までのセンターコートは、ジャズの巨匠の名前が付いた「ルイ アームストロング スタジアム」です。
2018年には大規模改築工事が行われ、収容人数は当初の約1万人から1万4000人に増加し、屋根も開閉式になりました。
「アーサー アッシュ スタジアム」と合わせて2つのコートが開閉式の屋根になりました。
「全豪オープン」も「全仏オープン」も「全英オープン」も、センターコートとは別に「ナンバーワンコート」がありますが、「全米オープン」だけはセンターコートである「アーサー アッシュ スタジアム」がナンバーワンコート扱いになっています。
「全仏オープン」については下の記事もご参考に。
全米オープンテニス大会の特徴
誰が勝つのかわからない
全米オープンは、球足の速いハードコート、高く弾むハードコート、灼熱のハードコート。
また、ハードコートは硬いので腰や膝への負担が大きく、試合が長引くと故障しやすいコートでもあります。
芝のコートはビッグサーバーが有利とか、クレーコートはストローカーが有利と言われていますが、ハードコートはどんなプレースタイルが有利とは一概には言えません。
実際、男子優勝者は、ここ10年で7人。連続優勝はありません。
全米オープンだけの特別ルール
全英オープンの「ウェアを白で統一」とか、全豪オープンの「エクストリーム・ヒート・ポリシー」(※)など、グランドスラム大会には、それぞれ独自のルールがあったりします。
全米オープンは、ファイナルセットもタイブレーク
グランドスラム大会の最大の特徴は、男子シングルスが5セットマッチ(全英オープンはダブルスも5セットマッチ)で行われるということです。
さらにファイナルセットはタイブレークが採用されず、相手に2ゲーム差をつけるまで行われるため、果てしなく長い試合になる可能性があります。
2010年の全英オープン、ジョン イスナーとニコラ マユによる男子シングルス1回戦のスコアは、イスナーの6-4 3-6 6-7(7) 7-6(3)、そしてファイナルセットはなんと70-68。
3日間にわたって戦われた11時間5分の史上最長時間試合は、このルールのもとで生まれた記録です。
この試合の模様をご覧になりたい方は、下の記事の動画をご覧ください。
しかし、全米オープンだけは、1970年からファイナルセットにもタイブレークを採用しています。
※「全豪オープン」の独自ルール「エクストリーム・ヒート・ポリシー」
「全豪オープン」の独自ルール「エクストリーム・ヒート・ポリシー」というのは、試合が真夏の炎天下で行われるので、熱中症対策として、日陰の温度が35℃を超えると湿度との兼ね合いで屋根を閉めて試合を行うというルールです。
また、屋根がないコートでは暑くて危険だと判断される場合は、試合開始を遅らせたり、セット終了後試合を中断することになっています。
画像:THE TENNIS DIARY
グランドスラム(4大大会)について詳しくお知りになりたい方は、下の記事をご覧ください。
全米オープンテニス トリビア
ここで、全米オープンテニスのトリビアを2つ。
ロゴが変わった
1968年のオープン化以後、2018年に50回目を迎えた節目にロゴが新しくなっています。
画像:QueensLatino
2017年まで使っていたロゴもかなり斬新でしたが、今回のロゴもシンプルでかっこいいですね。
2017年までのロゴ
なぜテニスコートに「ルイ アームストロング」の名前が?
ルイ アームストロングは「サッチモ」の愛称で知られるジャズの巨匠ですね。
彼はニューオーリンズ生まれで、ニューオーリンズの空港に彼の名前が付くのはわかりますが、ニューヨークのテニスコートに彼の名前が付いたのはなぜでしょうか。
画像:コヨーテの足あと
彼がミュージシャンとして本格的にスタートを切ったのはニューヨークですから、まんざらニューヨークとは無関係ではありません。
ただ、なぜテニスコートに?
実は、元々この建物は1964年に開催されたニューヨーク万博の際に、主にコンサート等を行う多目的スタジアムとして建設されたものなのです。
建設費を提供した有名なミシン製造会社の名を取って「シンガー・ボウル」と呼ばれていました。
それが1971年にルイ アームストロングが亡くなると、その翌年、彼をしのんで「ルイ アームストロングスタジアム」と命名されたのだそうです。
この時点では、ここがテニス会場になるとは誰も考えていなかったのですね。
それから6年後の1977年、USTA(全米テニス協会)は、それまで全米オープンの会場だったウェストサイドテニスクラブに代えて、新たに近代的なテニスセンターを建設する場所を探していました。
そこで目をつけたのが、万博跡地のフラッシングメドウのコロナパーク。
そして、当時そこに建っていたコンサート会場の「ルイ アームストロングスタジアム」をテニスコートに改修することにしました。
「ルイ アームストロングスタジアム」の西半分に、巨大な観客席のリングを乗せてセンターコートとしたのです。
こうして1978年、「ルイ アームストロングスタジアム」は2万人収容の世界最大のテニス専用スタジアムとして生まれ変わりました。
そして1997年、「ルイ アームストロングスタジアム」の隣に新たなセンターコートとして「アーサーアッシュスタジアム」が完成。それに伴い「ルイ アームストロングスタジアム」は第2のコートとなりました。
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優勝賞金
歴史は全英オープンが最も古い大会ですが、観客動員数や賞金額では、全米オープンは全世界のテニス競技において最大の大会です。
2018年の賞金総額は、過去最高の5300万ドル。約59億円。
シングルス優勝者の賞金は、男女ともに380万ドル(約4億2000万円)です。
1回戦負けの選手に対しても、5万4000ドル(約600万円)が支給されます。
ダブルスペアの優勝賞金は、70万ドルです。
全米オープンテニス 過去のシングルス優勝者
男子優勝者(2008年~2018年)
年 | 選手名 | 国 |
2008 | ロジャー フェデラー | スイス |
2009 | ファン マルティン デルポトロ | アルゼンチン |
2010 | ラファエル ナダル | スペイン |
2011 | ノバク ジョコビッチ | セルビア |
2012 | アンディー マレー | イギリス |
2013 | ラファエル ナダル | スペイン |
2014 | マリン チリッチ | クロアチア |
2015 | ノバク ジョコビッチ | セルビア |
2016 | スタン ワウリンカ | スイス |
2017 | ラファエル ナダル | スペイン |
2018 | ノバク ジョコビッチ | セルビア |
女子優勝者(2008年~2018年)
年 | 選手名 | 国 |
2008 | セリーナ ウィリアムズ | アメリカ |
2009 | キム クライシュテルス | ベルギー |
2010 | キム クライシュテルス | ベルギー |
2011 | サマンサ ストーサー | オーストラリア |
2012 | セリーナ ウィリアムズ | アメリカ |
2013 | セリーナ ウィリアムズ | アメリカ |
2014 | セリーナ ウィリアムズ | アメリカ |
2015 | フラビア ペンネッタ | イタリア |
2016 | アンジェリック ケルバー | ドイツ |
2017 | スローン スティーブンス | アメリカ |
2018 | 大坂なおみ | 日本 |
2018年、女子シングルスで優勝した大坂なおみ選手の試合の模様や詳細情報は下の記事もご参考に。
大会公式HP
◆公式HP
https://www.usopen.org/index.html
◆公式インスタグラム
https://www.instagram.com/usopen/?hl=ja
まとめ
「全米オープン」は、グランドスラムの年度内最後の大会です。
賞金も莫大ですし、その年のランキングにも大きく影響しますので、毎年熱戦が繰り広げられます。
2018年の「全米オープン」では、大坂なおみ選手が日本人として初のグランドスラム大会シングルス優勝を果たし、日本のテニス史を塗り替えましたが、実は今から60年以上前、1955年の全米選手権の男子ダブルスで、宮城淳選手と加茂公成選手が優勝し世界を驚かせたのもこの「全米オープン」です。
これは、日本人選手同士のペアによる唯一の4大大会ダブルス優勝です。
ニューヨークは、日本とは13時間の時差があります。
日本の明け方に注目カードが組まれたりしますので、「全米オープン」をテレビ観戦するには早起きが必要です。